私の父は、80代に突入した。
少々口うるさいところはあるが、元気でいてくれるのはありがたいことだ。
そんな父は、母がいうには、最近怒りっぽいらしい。
もちろん年齢が進むと怒りっぽくなるという。
私も話していると、父がカッと怒っているように思う時がある。
そういう年齢的にどうしようもないところからくる怒りは、
もちろんあると思う。
しかし、ここ数年で気づいたことがある。
それは・・・
「自分が認められていない」という気持ちからくる、
満たされない思いが怒りにつながっているのでないかということだ。
自分の父のことを言うのもなんだが、
若い頃は頭がよくキレた。
そんな父は、定年退職の少し前に会社を辞め、
技術コンサルタントとして第二の道を歩き始めた。
しかし、70過ぎたころからだろうか、
「こんなお誘いの話があって、今度人に会ってくるんだ」
そういう話を父から聞くものの、次に会った時にどうなったか聞くと、
その話が流れてしまったと聞くことが増え始めた。
思い返すと、父はある時から、「えーっと、あれが」「その、あれやあれ」みたいに、
パッと言葉が出てこないことが増えた。
年齢的にしょうがないことだと思うが、おそらくそうしたことで、
仕事のお誘いが流れてしまったこともあったと思う。
もちろん私はそのことは父に言ったことはない。
でもね、当事者の本人がいちばんよくわかっているのではないかと思う。
そうした、もどかしさ、やるせなさ、自分への不甲斐なさみたいなものを。
そうした行き場のない感情が、怒りというかたちで出てしまうのだと思う。
また、最近気づいたことがあるのだが、私の母は父の優しさを受け取るのが下手だ。
たとえば、母が重い荷物を持っているとき、父が持ってあげるよと言っても、
母はいつもそれを断る。(父に悪いと思って)
私はそこで、「ありがとう」って、父の申し出を素直に受け取ることで、
父も、気持ちを受け取ってもらえ満たされると思うのだが、母はそこが下手なのだ。
父もきっと、日常の何気ないやりとりの中での「ありがとう」と言ってもらうことで、
気持ちがもっと満たされるのではないかと思う。
だから私はたまに実家に帰ったときには、父がしてくれたことに対して、
できるだけ感謝の言葉を伝えることにしている。
「オトンがこのマグロ買ってきてくれたんだね、美味しいわー」
「オトンがお茶入れてくれたんや、ありがとう」
父が新しいパソコンを買って、中のデータを自分で移し変えたときには、
「すごいやん!これおオトンがやったんやー」
そうやって、父がやってくれたことに対して、できるだけ感謝の言葉を伝えるようにしている。
そうすると気のせいか、父も笑顔が増えるような気がしている。
父の気持ちをしっかり受け取ったよーと、気持ちのキャッチボールをするのだ。
そういう気持ちのキャッチボールの機会がないから、気持ちが満たされず、
怒りというカタチで表してしまうのだ。
だから、もし、あなたの大切な人で怒りっぽい人がいたら、
ぜひ、その人がしてくれたこと、やってくれたことを、しっかり受け止めてあげてほしい。
そしてその行動や思いに対して、感謝の言葉や、あなたの素直な気持ちを伝えてあげてほしい。
あなたの大切な人と気持ちのキャッチボールで、その人は満たされ、笑顔もきっと増えるから。
ピンときたら、ぜひためしてみてください。
このブログが、誰かのお役にたてたら嬉しいです♪
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